大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(ワ)1565号 判決 1963年3月01日

原告 木下勘一

被告 杉山基 外二名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告杉山は別紙目録<省略>一記載の建物を収去して、別紙目録二記載の土地を明渡し、かつ、昭和三六年九月五日から右明渡ずみまで一ケ月金五、〇〇五円の割合による金員を支払え。被告会社および被告相川は前項の建物から退去して、前項の土地を明渡せ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求原因として、

「原告は別紙目録二記載の土地(以下本件土地という。)を昭和三六年九月五日譲受けて、その所有権を取得したものであるところ、被告杉山はその以前から右土地上に別紙目録一記載の建物(以下本件建物という。)を所有して本件土地を占有し、原告に対しその賃料相当額である一ケ月金五、〇〇五円の割合による損害を蒙らせており、被告会社および被告相川は右建物を使用して、本件土地を占有している。よつて請求の趣旨のとおりの判決を求める。」

と述べ、被告らの抗弁に対し、

「被告ら主張事実中、本件土地をもと訴外天野徳七が所有していたことは認めるが、被告杉山が本件土地を賃借していたことおよび地上の建物に保存登記していたことは不知。同被告は原告が本件土地につき所有権移転登記手続を経た昭和三六年九月五日当時はその建物につき登記をしていない状態にあつたのであるから、仮りに本件土地に賃借権を有していたとしても、原告には対抗できない。原告が同被告の賃借権を承認したとのことは否認する。被告らの権利濫用の主張は争う。」

と述べ

被告らの証拠に対し、乙第三号証の一ないし五二、乙第五号証の各成立は不知、その余の乙号各証および丙号各証の成立は認める、と述べた。

被告杉山訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「請求原因事実は全部認める。しかし被告杉山の本件土地占有は正当な権原にもとずく。すなわち被告杉山の先代杉山五郎は、大正五年頃本件土地の前所有者天野徳七の先代から本件土地を賃借し、右借地権を承継した被告杉山は昭和二年頃本件建物を地上に建築して保存登記をなし、右の借地権につき第三者対抗要件を取得した。もつとも昭和二〇年の戦災により右の建物登記簿は焼失し、その回復登記の期間も経過しているが、一旦生じた対抗力はこれによつて消滅するものではなく、被告杉山は右の借地権をもつて、その後本件土地の所有権を取得しその登記手続を経た原告にも対抗しうるものである。

仮りにそうでないとしても、原告は本件土地を被告杉山が天野より賃借して本件建物を地上に所有していることを承知して本件土地の所有権を取得し、その直後の昭和三六年九月下旬頃被告杉山に対しその借地権を承認した上本件建物および右の借地権の譲受方を申出で、両者間で譲渡価格につき接衝した。従つて原告はその後に至つて被告杉山の有する借地権につき、その対抗要件の欠缺を主張して借地権を否定することは許されない。

また仮りにそうでないとしても、原告は三菱信託銀行不動産部の嘱託であつて、不動産取引に精通している者であるところ、前述のように被告杉山の借地権を承知して本件土地を買受け、本件建物、および右借地権の譲受方を折衝中、建物登記簿が滅失して本件建物につき登記がない状態にあつたことを奇貨として、右借地権には対抗力がないとして本訴を提起したものである。そして特に被告会社および被告相川との関係を考慮すれば、原告の本訴提起は権利の濫用といわねばならない。」

と述べた。<証拠省略>

被告会社および被告相川訴訟代理人は、「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「請求原因事実は全部認める。被告会社は被告杉山から本件建物を賃借し、右の賃借権にもとずき本件建物を占有しているものであり、被告相川は被告会社の代表者として本件建物を占有している。そして被告杉山は本件土地に適法に借地権を有しているものであり、その根拠については同被告の主張を援用する。

なお本件土地は日本橋馬喰町の中心繁華街の公道に面した一級地であり、被告会社は本件建物において衣類問屋をなし、本件建物をその営業の基盤とするものであるところ、本訴請求はこれを覆滅し被告会社を窮乏の境地に追込むものである。原告は被告らの法の不知に乗じ本件土地を買取り、莫大な金銭上の利益を得ようとするものであるのに対し被告会社のこれにより蒙るべき損失も亦莫大である。以上の点よりして本訴請求は権利の濫用である。」

と述べた。<証拠省略>

理由

原告が昭和三六年九月五日本件土地を譲受けてその所有権を取得したことおよび被告杉山は当時より本件土地上に本件建物を所有して本件土地を占有し、被告会社および被告相川が右建物を使用して本件土地を占有していることは当事者間に争いない。

よつて被告らが右の占有について正当な権原を有するかどうかにつき判断する。

成立に争いのない乙第一、二号証、被告杉山基本人尋問の結果およびこれにより成立の認められる乙第三号証の一ないし五二によれば、被告杉山は本件土地を元その所有者であつた天野徳七(天野が元所有者であつたことは争いない。)から建物所有の目的で賃借して昭和一〇年頃以前より地上に本件建物を所有し、この建物につき保存登記を有していたところ、当該登記簿は戦災により焼失し、当事者間に争いのない原告が本件土地について所有権取得登記をした昭和三六年九月五日当時は本件建物については登記のない状態にあつたことが認められる。

元来被告杉山としては、右のように本件土地の上に借地権を有し、地上の本件建物について保存登記を経ていたのであるから、その借地権をもつて、その後その土地の所有権を取得すべき第三者に対しても完全に対抗することをうべき筈であり、たまたま登記簿が滅失したためその対抗力が失われると考えることは、同被告にとつて極めて酷である。しかし他方本件土地を取得すべき第三者の立場からいえば、本件土地につき賃貸借の登記もなく、また地上の建物についての登記もなく、そのため借地権が存在しないものとして土地を取得したところ、実は対抗力がある借地権が存在したということになれば、意外の損失を受けることにもなり、取引の安全を害し、ひいて登記制度の信用にも悪影響を及ぼすおそれがあろう。

ところで被告杉山基本人尋問の結果、これにより成立の認められる乙第五号証および被告相川光雄本人尋問の結果によれば、被告杉山としては、本件建物の登記が滅失したことは全然知らず、回復登記の期間も徒過したものであるが、本件土地の所有権を原告が取得した直後の昭和三六年九月二五日頃被告杉山の母が従前の所有者天野徳七万に同月分の地代を持参した際天野より本件土地は原告の所有となつたから、地代は原告に支払うようにといわれ、登記簿を調査した結果はじめて建物の登記簿の滅失を知り通常の保存登記をなすに至つたこと、被告杉山は右のように天野より本件土地の以後の地代は原告に支払うよういわれたので、原告のところに地代を持参提供したところ、原告はその受領を拒否したが、その際原告より本件建物の買受方の申出があり、被告杉山と原告とはその後本件建物および借地権の価格につき接衝したが折合いがつかなかつたこと、原告は当時三菱信託銀行不動産部嘱託という肩書のある名刺を使用していたこと、なお本件土地の付近は東京における代表的な問屋街であり、借地権の価格は見る人により多少の相違はあるにしても、安く見積つても坪八〇〇、〇〇〇円程度もすると考えられていること、がそれぞれ認められる。以上を総合すると、原告として本件土地に被告杉山が借地権を有しているとのことは、必ずしも全く意外なことではなかつたものと推認され、そして他に原告が被告杉山の借地権の存在を容認することにより、甚だしく予想外の損害を蒙むるというような事情が存在することについては、これを認むべき証拠が存しない。

以上のすべての事情を総合すれば、たまたま被告杉山が本件土地上の本件建物につき、かつてなしていた登記が滅失して存在しないことから、その借地権は、その後に土地所有権を取得した原告には対抗できないものであるとして、被告杉山に対し地上の建物を収去して土地の明渡を求めることは、権利の正当な行使と認め難く、結局権利の濫用であつて、この場合は、被告杉山の借地権は賃貸借もしくは地上の建物の登記がなくとも原告に対抗できるというべきである。

つぎに成立に争いのない丙第一、二号証および被告杉山基、同相川光雄各本人尋問の結果によれば、被告相川は被告杉山承諾の下に、その母杉山たかから昭和三三年八月一日本件建物を期間三年の約で賃借し、ついで期間が満了した昭和三六年八月一日被告相川が代表者をしている被告会社が杉山たかからこれを賃借したことが認められる。よつて被告会社は本件建物の賃借人として、被告相川は被告会社の代表者としていずれも原告に対し被告杉山の有する借地権を援用することができるものである。

以上のとおり結局被告らはいずれも原告に対し、本件土地を占有するにつき正当の権原を有するものということができるから、本訴請求はすべて失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例